「何かに導かれている感覚」を感じたことはありませんか。

こんにちわ、喜屋カンナです。
ちょっと不思議な感覚の話です。

あなたがまだ20代の方だったとしたら、自分の思うように自分の道を行く。とバリバリはたらいていらっしゃるかもしれません。

たとえば、あなたがもう少し上の年代だとして、こんな感覚を感じたことはないでしょうか。
若いころは、ただがむしゃらに生きてきたが、今は、それ以外に自分の意思とは関係のない、見えない何かに導かれている感じがする。そんな感じです。

たとえば、何かに夢中で取り組んでいると、ふと、一つ上の次元から見つめる自分が、「自分は夢中だな」といっている時がないでしょうか。

ランナーズハイってご存知ですか。ランナーが、ある一定の苦しさを過ぎると、快感がおとづれるのです。これは、脳内で神経伝達物質が放出されることによって起こります。

何かに無我夢中の時、ふっと感じらます。

「何でもいいから、好きなことに取り組みなさい。自分の強みをよりいっそう磨きなさい」とよく言われますが、いったい何をすればいいのか解らない、興味のあるものがない、夢中になれるものがない、という人が増えています。

「妙にあの人が気になる。英語の発音が変なのに、外人と楽しそうに話している。会話が成り立ってるのだろうか?」

「よくわからないけれど、妙に気になる何か」
そう思ったら、立ち止まって、少しそれを考えてみてください。なぜそれが気になるのか。気になることと会話してみてくだい。
そして、その気になる何かを大切にしてください。何かに導かれる時は、かならずやってきます。

ここからは、諸冨祥彦「運命の道はみつけられる」からフェラガモの話です。

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フェラガモは、もともと、どこにでもいる一介の靴職人にすぎませんでした。
しかし、「いままでにない美しいハンドメイドの靴をつくって、成功を収めたい」という思いだけは人一倍強いものがありました。
そこで彼は、美しい靴づくりの技術を追求すべく、単身でアメリカに渡ったわけですが、到着早々、落胆と失望の淵(ふち)に立たされました。当時(二十世紀初頭)、アメリカでは機械による大量生産が主流になっていたため、手作りの職人の数が激減し、会う人会う人にこういわれたからです。

「もう、ハンドメイドの時代は終わった。これからは機械の時代だ」

しかしフェラガモは彼らの言葉に大いに抵抗を感じました。一足一足、丹念に手作りしたデザイン性にすぐれた美しい靴を世に送り出したかったからです。

そこで彼は修繕屋を営むかたわら、新しい靴の開発にいそしんだわけですが、来る日も来る日も苦闘の連続でした。デザイン性にすぐれた美しい靴がどうしても仕上げられないでいたからです。そして何年もの間、試行錯誤をくり返し、とことん悩み、とことん突きつめて考えた末に、彼は何と大胆な行動にでました。いや、これこそが彼の意思を越えた「見えない力」の導きといっていいでしょう。

なんと修繕屋をたたみ、大学へ進学。そこで解剖学(人体の構造)を学んだのです。授業で吸収した知識を、履き心地のよい靴づくりに役立てようと考えたのです。

そう、この「履き心地のよい靴」というのが、実は最大のポイントなのです。なぜなら、彼は当初、デザイン性、すなわち美しさばかりにこだわっていました。見た目がよく、しかも手作りであれば、絶対に売れる、すなわち「儲(もう)かる。だから成功する」と考えていたからです。

しかしそれは彼のエゴーーー損得勘定にすぎませんでした。間違いであったことに気づいたのです。長時間履いても足が疲れない靴を丹念につくりあげていくことが自分に課せられた使命であることを痛感したのです。

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