いちょう散ると死生観?

こんにちわ
喜屋カンナです。

銀杏の黄色い色が眩しい季節になりました。葉っぱが散って、きれいですね。さて、散るというと、なんと言っても桜の花びらですが、銀杏の葉っぱもなかなかいいもんです。

散っていくのに、美しいと感じる。日本人は、そこに「死生観」という独特の感覚を感じます。

死生観とは、生きることと死ぬことについて、判断や行為の基となる考え方。生と死に対する見方のことをいいます。葉っぱが散る。花びらが散る。生あるものが散っていく。そのはかなさに、あわれを感じるんですね。「わび」「さび」に通じるものがありますね。

さて、この「死生観」は、戦国時代にもてはやされました。千利休が茶の湯で頂点にまで押し上げたんですね。

でも不思議じゃありませんか?なぜ、戦国時代に茶の湯が大流行したのか?

命を奪い合っているさなかにお茶会なんて、ちょっとピントきませんよね。

しかし、戦国時代、織田信長は、千利休を茶頭(さとう)に任命して茶会を催しました。信長の死後、豊臣秀吉もやはり、千利休を任命して茶会を開いています。

このように茶の湯がもてはやされたのは、ひとつには、茶器が評価の報酬として使用されたことにあります。

戦国時代、活躍すると土地がもらえるのが常でしたが、土地には限りがあります。そこで、土地の代用として茶器が利用されたのです。秀吉は、信長から高価な茶器を7つほど与えられ、それからお茶への愛に目覚めたといいます。

さて、もうひとつの理由は、「死生観」です。千利休が、茶の湯を、死を背景にした厳粛な一期一会の儀式として、緊張感のある儀式にしたてあげたのです。

茶の湯は、一対一で行います。亭主は振る舞いや道具など、あらゆる点で客をもてなします。また、客は、そのもてなしに対して、応えるのです。

掛け軸に文章がかかれていれば、それはどうゆう意味なのか?亭主は、なぜその掛け軸を選んだのか?何に由来するものなのかなど、古典文学への教養も問われるのです。

花の生け方や、建物や庭の作り方もそうです。

教養のある亭主は、人を上手にもてなします。「わかる人には、わかる」「わからに人には、わからない」という世界を作り上げているのです。

客人は、亭主のもてなしから「死生観」を感じます。教養のあるもの同士なら、その奥深さ、美しさを求め、称えあることができるのです。

今日は、ここに会えて、静かなひとときに感じ入ることが出来たが、明日は敵味方になるやもしれない。武士に、死生観は通じるものがあるのです。

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あるとき、利休の屋敷の庭で朝顔が咲き乱れていると聞いた秀吉は、それを見物に訪れる。ところが、朝顔の花はどこにもなかった。残念がって茶室を覗いてみると、そこに一輪だけ生けてあったという。利休はすべての朝顔をつんでしまい、茶室に一輪だけ残したのだった。

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齊藤孝著「こんなに面白かった!ニッポンの伝統芸能」より

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