堀江貴文(ホリエモン)の近畿大学卒業式でのスピーチです。
情報を身につける
情報は、人に説明することによって、身につきます。
知ってるだけでは、その情報を利用することはできません。人に説明できて初めて、自分のものとなります。そのためには、毎日ちょっとした訓練をしましょう。
訓練といっても、簡単なことです。
ホリエモンも言っていたように、毎日ブログを書くんです。
ただそれだけですが、毎日です。
書くネタがなくなって、もうダメだってことにすぐになります。
ブログを書く目的は、世界の情報を自分の頭で整理して、発信することにより、知恵となる情報を身につけることです。
だから、毎日情報からキーワードを抜き出して、そのキーワードで自分の考えたことを、整理して書いてください。ネタは毎日の情報ですので、つきることはありません。
毎日の情報は、例えば、新聞、朝のニュース、ネットサーフィンした時のお買い得情報、人のブログ、読んだ本、飲み会の話題、なんでもあります。一つキーワードを選んで、それについて自分の考えをまとめましょう。
この毎日の積み重ねが、あなたの力となり、さらには、こころをささえます。
上から目線で、感想文をエッセイに変えろ!学生のための文章術
読書感想文というと、「○○を読んで」というタイトルをつけますよね。でも、「○○を読んで」というタイトルで始まったら、面白い文章は書けません。なぜなら、どうしてもあらすじを書く作業になってしまうからです。
「書く」ということはとにかく書き手が主役なのです。読書感想文でも、主体は本ではありません。書き手であるあなたです。
読書感想文を「読書エッセイ」だと思ってください。
「ここが面白いと思いました」という書き方ではなく、「この言葉が私をインスパイアしてくれた」という感じで書くのです。
いや、もっと偉そうに「この私をここまでその気にさせてくれた。それだけに、この物語はなかなか大したものだ」とあくまで「上から目線」の姿勢で臨みましょう。
「生意気さ」というものは意外に重要なのです。「好きだ」という感情があって、その上で生意気な感想を自由に述べる。そうゆう距離感が重要です。読書というのは、あらゆる視点を楽しむ行為です。著者が一度書き上げた作品は、読み手がどのように読んでもいいのです。
そうゆう意味で、その本が「自分にどんな刺激を与えてくれたのか」、あるいは「自分の中の視点をどう変えてくれたのか」が重要なのです。
例えば小説の登場人物のたった一言のセリフを目にしただけでも、「ああ、こういう生活も幸福な生活だと考えることができるのか」と感じ入ったり、「世の中には幸福も不幸もないのか」と思ったり、あるいは退屈そうな人生にも、こんな良さがあるのか」と気づき、あなたのものの見方が少し変わることがあるかもしれません。
その変化した視点で、世の中やあなたの見の回りを改めて見直してみる。すると、あなたの文章は、エッセイになっています。
参考図書:【人を動かす文章術(斎藤孝)】
本を読む醍醐味
斎藤孝は、「読み手がどのように読んでもいいんです」と言います。これこそが読書を楽しむ極意だとも言います。本の背表紙を眺めて、気を引くものから手にとる。ぱらぱらとめくり、読み出す。おもしろい、と思うとしばらく読みふける。文章の横に線を引っ張っぱる。でも読むのに疲れたら止める。全部は読まない。
次の本を手に取る。またぱらぱらと読み始める。なんだかピンとこない。この本はやめ!次の本を手に取る。
数ページ読んでみる。すると、前に読んだ本が気になってきた。再度、前読んだ本を手にとって同じ箇所を読んでみる。線を引いた部分は、やっぱり正しかった。この文章は、なかなかいい文章だ。などと感心しながら、線を引いた文章を蛍光ペンでマークする。
本の最後のページをひろげて、著者の経歴を読んでみる、さらに数ページ前にもどってあとがきを読む。こころが惹かれているのがわかる。
同じ著者の違う作品を探す。
手にとって斜め読みしてみる。すみずみまで読まなくても、十分楽しめる。
思わず、bookoffで検索し、同じ著者の本のタイトルをみてみる。
本のタイトルだけでも、見ていると楽しい。108円、198円の本に絞ってしるしを入れて、購入手続きへ。
何冊か同じ著書の本を斜め読みすると、根底にある信念のようなものが、肌で感じられるようになる。
これが、本を読む醍醐味なんです。
読書エッセイを書けることが何の役にたつのか?文学には正解がない?
読書エッセイが書けるようになるとどうなるか?何の役にたつのか?なんて考えているのは、書けないからであります。それでもちょっと考えてみました。
読書エッセイが書けるようになると、自信?がつく。
自信というものは、自分が客観的になったと思いこんで自分を評価し、人より優れていると思った時に感じるプラスエネルギーです。
人に教えてあげることができると、自信になります。十分理解していないと人には教えられないので、その時点で得意分野だということですね。
手っ取り早いのが、他人と比較して自分が上だと思うことが自信になりますね。なんだかいやらしい考え方です。
他人と比較しないで、自信を感じられることはないのか?子供の頃から人と比較して育ってきたので、ついつい「比較」という言葉に敏感になってしまいます。
あーー、何を話していたのかわからなくなりました。
そうだ、エッセイを書けるようになると何の役にたつのかという話でした。思い付くままに列挙してみます。
その1:文章を書く機会があったとき、手をあげれる。
読書エッセイを書き慣れていると、「ちょっと宣伝文句を考えたいんだけどな?」「どんな感じですか?」「もっと売り上げを伸ばすには!なんて感じかな?」「じゃ、わたしの視点で売り上げを伸ばすには?ということについて、文章を書いてみますよ」「あっ、そう!うれしい」
こんな、会社の一場面が思い浮かびます。
手を上げるとそれだけで注目されます。いつもは、静かにしている人でも、文章を書く場面になったのならば「はい」と手をあげれる。
このことだけで、やる気がでるでしょう。ついでに言うなら、「失敗」はありません。なぜなら、エッセイがかけるほどの文章力のある人は、そんなにいません。私を含めて多くの人が、文章を書くのは苦手なのです。
そして、すごい強みは、エッセイを書くのが得意な人は、書いた文章が気に入られなくても、どこが気に入らないのかを聞いて、すぐに「さらさら」と修正、または第二話を書き上げてしまう力を持っているのです。
その2:文章を書くのが面白くなる。
これはたぶんの話ですが、エッセイが書けるようになると、文章を書くのが面白くなります。この感覚を身に付けると一生ものの技術になるでしょう。
死ぬまで使えるあなたの強み(特技)になるということです。
その3:他人に一目おかれる。
他人に一目おかれると、自尊心が・・・・自信が・・・・気力が・・・・にやにやする回数が・・・・
また、他人との比較の話になっちゃいました。
自分自身の視点を見つけるということ
視点が自分だから、すべての文章に、自分というものが現れます。すると、文章を読んだだけで、あの人の文章だとかが、わかります。文章には、書き手のこころの根底にある信念のようなものが溢れ出ているからです。
だから、自分の視点を見つけるということは、とても大切なんですね。
読書エッセイで自分の視点を見つけるには、「本の中から引用したい文」または「好きな場面」のベストストーリーを選びます。
そして、そのベストストーリーについて、「なぜこの文、この場面が好きなのか」
コメントをつけていきます。
選んだ時点で何からしらの心の動きがあったはずです。そのこころの動きを言葉にするのがコメントです。
自分のつけたコメントには、あなただけの視点が含まれています。
- テクニック1:
コメントは頭で考えて書くのではなく、感じたこころの動きを言葉にする。
次に、
気になるコメントから、3つのポイントを挙げて、3つのポイントの共通点はないか?逆に共通点がなければ、共通点がない理由はなにか?(その理由が共通点だったりします)
共通点がなければ、3つのうちで一番大事なポイントを探します。
- テクニック2:
気になる3つのポイントを挙げて、それに共通するキーワード、それを繋げるキーワードまたは、一番大事なキーワードを探す。
- テクニック3:
キーワードは問いの形にしてタイトルにする。
問いの形にすると、それを見た読者は、なに?なに?っていう気持ちになります。しかも、
「なぜ主人公は常に○○してしまうのか」といった問いの形のタイトルにします。
一番重要なのがタイトルの付け方です。
タイトルが決まったら、3つのポイントを挙げて説明しながら、最終的にその問いに答えるように、書いていきます。
タイトルを問いの形にして、その答えを見つけるプロセスとして、
書くという行為をもってくるわけです。
最終的には、論理的な大正解がなくてもいいんです。
文学とは、正解が「ない」というのがいいところでもあります。
文学のそうゆう開放性が、人間の精神の自由を保障している面があります。