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心の友はいる?

という質問に対して答えられない。

そういえばいないのか?!

それでは、日曜日のうんちくをどうぞ!

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日曜日のうんちく 

心の友・・・・・・?

心の友と言える友はいるだろうか?と考えてみる。

いなかの●●とは小学校、中学校が同じだった。あいつだな。

そういえば、▲▲とは大学が同じで、ともに卒業制作が大変だったことが思い出される。

よくよく考えると、友と言えるのは、みんな同級生だ。

では、なぜそうなのか!

友の条件に何が必要なのか!

少なくともこれらの条件がそろわないと、なかなか友と呼べる関係にまで育たない。

一の条件はかなり重要である。一緒に遊んだ、一緒に怒られた、楽しい思いも辛い思いも、一緒に経験しているということが必要だ。

さて

同級生の場合は、上記の条件がそろいやすい。

だから、友と呼べる相手に同級生が多いのである。

私の場合、その同級生もチリチリばらばらになってしまって、めったに会うことがなくなってしまった。

つまり、私のまわりに友がいない。

でも知り合いは増えた。

では、知り合いとの関係は、どんな感じだろうか!

あれれ?

どうゆうわけか、友の条件に似通ってしまった。

どちらも、同じ空間、時間をある程度の期間を過ごすというのは、大きな外的要因である。

さらに、その過ごし方によっては、楽しい時間を持てる。

単なる知り合いと上手に付き合えば、知り合いプラスα(アルファ)の関係になれるかもしれない。

知り合いプラスα(アルファ)が増えれば、友が近くにいなくても幸せな時間を過ごせるものだ。

遠い友より、近くの知り合いプラスα(アルファ)である。

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心の友はいないが・・・・・・

三津田富左子(著)「50歳からの満足生活」からの紹介。

私には友人はいない。

私の周りには、娘や従姉妹やカルチャー講座での知り合いなど、いろいろな人が寄ってくるが、

私には、本当の意味で心がぴたっと触れあるような友人はいないという意味である。

私はそんな友人など、もともといるはずもないと思い、期待もしていない。

四、五年前に、「悩みを話せる心からの友がほしい」という七十三歳の男性の投稿が新聞に載っていたのをみて覚えている。

しかし、いったい、心の底から話し会ってなぐさめてもらえる友人というものが存在するのだろうかと、私はそのとき思った。

悩み事はしょせん、当人にしかその機微(きび)はわからないものだ。

なまじっかなぐさめてもらうことを期待すれば、いまひとつわかってもらえぬもどかしさが残ったり、話し相手にも楽しくない思いをさせるだけのように思う。

それに、なるべく人を巻き添えにしたくないというのが私の信条だ。

少々気になることがあっても、気持ちの持ち方次第ということもあるので、なるべく明るい未来を考えるようにして、人に愚痴をこぼすことはない。

友人には楽しい話題の話し相手で十分である。

私には心の友はいないけれども、人間はしょせん孤独と思えは、話相手がいるだけでも幸せだと私は考えている。

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よろこ